転職体験談一覧
筆者が2022年にフィンテックスタートアップのKyashへデザイン責任者として入社し、約2年半にわたるブランド戦略やデザイン組織構築の経験を振り返りながら、2025年に独立起業を決意した経緯をまとめた記事です。代表やチームとの対話から経営視点のデザインを学び、一方で万博関連の仕事や個人としての依頼が増加。限られた創造的時間を有効に使い、より大きな未来社会への貢献を目指すために退職を選択し、今後は万博のプロジェクトや新会社の設立に注力することが語られています。
SOD退職後に入社した現在の会社では、女性起業家向けの新サイト立ち上げやSNS運用などを任され、社内の雰囲気や仕事にも満足していた。しかし私生活での変化や、より自由な働き方を求める気持ちが強まり、フリーランスへの道を選択。今後は執筆やダンスなどやりたいことを優先しつつ、新たな仕事にも挑戦しブラジルでのサンバ体験も視野に入れている。
2021年にHERPへ入社し、カスタマーサクセスやOps組織の立ち上げ、テクニカルサポートの強化など、多岐にわたる業務を担当しながら3年半で大きく成長を遂げた。各種プロジェクトを成功裏に一区切りつけるタイミングで、今後のキャリアをより広げたい思いから転職を決断。転職先企業名はまだ公表していないが、これまで培った顧客支援やプロダクト開発の知見を糧に、新たな環境でさらに挑戦と成長を重ねる見通し。
新卒入社以来、AVメーカーのSODで15年間にわたり営業や新規事業など幅広い業務に携わってきた。SOD時代には女性向けサイト「GIRL’S CH」の立ち上げやイベント運営も経験したが、売上重視の空気や性にまつわる表現の自由度などに制約を感じ続けた。しかし、長時間労働や女性視点の企画が認められにくい男性中心の社風、さらにコロナ禍での過重労働などが重なり退職を決意。新たな職場は女性のライフスタイルを発信するメディア運営企業で、ストレスなく自分らしく働ける環境に期待している。今後は女性が活躍できる場を広げるための情報発信を続け、さらに事業を成長させていく見込みである。
ヤフーに5年間エンジニアとして在籍した筆者は、コロナ禍に伴うフルリモート勤務へのスムーズな移行など会社の環境面を評価しつつも、給与水準の低さや伸び悩みに大きな不満を抱えました。それが原因で会社への不満が積み重なり、最終的に退職を決断。当時は在宅勤務制度が既に存在していたためリモートワーク自体に困難はなかったものの、給与面での限界を感じたことが最大の理由となりました。退職後の具体的な転職先や進路は明示されていないものの、フルリモートの良さと給与への不満という対照的な要素が鮮明に語られています。
新卒から7年半勤めたベネッセでは通信教育や学校向けICT事業でマーケター、カスタマーサクセス、PdMなど多様な業務を経験し、大きなやりがいと成長を得た。一方で責任者としての力不足を痛感し、環境を変えてさらなる成長を図る必要を感じて転職を検討。優秀な仲間との協働やチャレンジングな風土に惹かれ、IVRyへの入社を決意した。新天地ではスピード感あふれるプロダクト開発や手厚いサポートを受けながら、顧客課題を深く解決し自身の成長を加速できると感じている。
リクルートで約7年データエンジニアとして活動し、新規事業にも挑戦していた筆者は、事業撤退の決定に不本意さを覚え、自らの想いを形にしたいと考えました。そこで株式会社ヤードを起業し、テック人材が気軽に相談できるサービス「Yard」を開発。ベータ版公開を通じて対話型の知見共有を広げ、テック業界をより発展させていくことを目指しています。
約4か月前、2024年7月12日付でメルカリを退職した筆者は、長年患う不眠症の治療が必要と感じ、3月から休職して治療に専念していた。休職中にキャリアや人生設計を見直す中で、幹部の過重労働や約束の不履行、責任の所在が不透明な企業文化に加え、不眠症治療後も同水準のパフォーマンスを要求される状況に限界を覚え、報酬面だけで頑張ることに疑問を持つ。結果、健康面と精神的安定を最優先し退職を決断。現在はすでに新たな企業に参画しており、社会貢献や国益への寄与を強く志向しながら、より人々の役に立つ仕事を続ける意向を示している。
新卒で三井物産に入社し、コーポレート部門でリスク管理や投融資審査を担当。勤務3年半のうちに不動産投資やSNSを活用した個人事業を展開し、不動産会社向けのマーケティング支援事業を起業した。海外研修の時期が不透明だったことや、若いうちから自身の事業に本腰を入れたいという理由から独立を決意。現在はSNSやイベント企画などを通じて、不動産購入者と不動産会社の双方がWin-Winとなる関係構築を目指している。